株式会社東豆

『ミットを動かすな』(三建だより コラム「小窓」) 2008-10-01

北京オリンピック野球の審判団に、日本からただ一名が派遣されました。
その方は私の大学野球部時代に同じ釜の飯を食べた先輩でした。
オリンピックが幕を閉じ、先輩の帰朝報告が行なわれたのですが、
そこでは私たちが普段知らない話が続々と飛び出してきたのでした。

ひとつが世界各地より招集された審判員達から、
「お前(日本)のチームが最もマナーが悪い」と酷評された事。

それはたとえば、こんなこと。
● 際どいコースに決まった時、捕手がミットをベース寄りに微妙に動かす行為(審判員をあざむく気か!)
● 投手も打者も総じて間合いが長すぎる(スピードアップ化への反逆か!)
● 判定に対して不服そうに首をかしげたり、睨んだりする(審判員に対する大いなる侮辱!)
● ホームランやタイムリーヒットの後に、やたらとしすぎるガッツポーズ(相手チームに対する大いなる侮辱!)

こうした行為が大変不愉快だと彼らからブーイングを受けたのだそうです。
でもああ、これって日本のプロ野球では当たり前、
しかも学童から社会人に至るまでのアマチュアが何かと真似てきたよね?
と少なからずショックを覚えたのです。

それはキャッチングの技術であったり、
間合いの変化によってタイミングをリセットするというテクニックであったり、
審判へのアピール度を高めたり、
チームやファンの士気を高める目的であったり…。
どちらかといえば「勝つための正当な技術」として真似してきたものだから。

日本で当り前と思われている考え方や行為がいかに国際基準と乖離していたか、
現地でムチ打たれてきた先輩の話は重かったのですが、
見方を変えれば世界各地に拡がっていくスポーツは、
同じ競技といえど多様性を抱えざるを得ません。

柔道の世界では、
「一本勝ちの真髄もわからず、今じゃ点取り合戦のJUDOだ」という声が上がる一方、
「世界基準の変化に対応できる(つまりポイントを稼げる)者こそが一番強いのだ」と言ってのけ、
金メダルに輝いた日本人選手もいます。

外国人力士が席巻している大相撲では、
仕切りの微妙な間合いだとか日本特有のしきたりを伝えることは親方衆にとっても大変な難題だろうし、
その歪みもあってなんとなく角界が揺れているようにみえます。

国ごとの慣習・常識・暗黙のルールといった境界線を上手に乗り越えること。
スポーツ・グローバリズムとスポーツ・モラル。
選手にとっても審判にとってもいささかハードな時代なんですね。